「嫁」をやめたので、稼ぎます。

嫁をやめたら、世帯主。子どもと二人三脚の日々。

このタイトルにしたワケ

なんでこういうタイトルにしたのか。

1つは、自分自身の決意表明。笑

もう1つは、母子家庭=不幸、貧乏、
というイメージを変えたいから。

息子と2人で暮らすようになって、
自分たちの生活に必要なものを
好きなように買えるという幸せを手に入れました。

元夫から逃げて、今月でちょうど3年。

月10万ちょいの収入と、
月1万の児童手当と、
月4万ほどの児童扶養手当と、
わずかな養育費
(いつ止まるか分からんので
 あてにはしていない〜♪)とで
なんとか人並みに生活してきました。

裕福ではないけど、貧乏ではありません。
たまに外食もするし、映画も観に行きます。

服だって、お下がりや古着ばっかりじゃありません。
靴はきちんと足に合ったものを買います。
食事はできるだけ体に優しいものを。
体は食べた物で出来ているから。

ブランドものを買ったり、
海外旅行に行ったりは出来ないけれど
手の届く範囲で幸せを謳歌しています。 

何が一番幸せかって、
毎日、ビクビクしないでいられることです。
当たり前のことなんですけどね。

息子が15歳になったら、児童手当は終了。
18歳になったら、児童扶養手当と、養育費も終了。
それ以降は私1人で生計を立てて行く必要があります。
そのために、フルタイムの仕事に転職しました。

これ、息子が1人で留守番できるようになったのが大きい。
2年生の夏休み明けから、午後だけ学校に行っていて

「自分で鍵を締めて家を出て、帰って来たら中から鍵を締める」

これが出来るようになったから、
収入は低いけど夕方までに終わる仕事に
見切りをつける決心がつきました。

1年生では、まだ難しかった。
放課後は学童保育に行っていて
夕方5時に迎えに行く毎日。

仕事が長引いた時は電話で延長を頼んだ。
迎えに行くと、ひとりでポツンと待っていて
「おそい〜!」
「ごめん〜!」
こんなやりとりがしょっちゅう。

保育所時代は、毎日の生活でやっとだった。
まだ調停中だったから、月1回とはいえ
家庭裁判所へ出向くたびに胃がチリチリ痛んだ。

時間をずらしているとはいえ、
相手と鉢合わせたらどうしよう。
終わってから、あとを付けられて
自宅の場所がバレたらどうしよう。

そんなギリギリの精神状態で
さらに転職活動なんて
ゼッタイ無理(笑)

3年経って、ようやく落ち着いてきたという感じ。

新しい職場に移ったら、今まで以上に勉強も必要だし
10年ぶりの電車通勤だけで疲れるかもしれない。

でも、息子が応援してくれてるから、がんばれます。

コンロでお湯を沸かせる。
トースターが使える。
電子レンジでおかずを温められる。
ひとりでお店に行って買い物が出来る。
暑い時は、窓を閉めてエアコンを付けられる。
外が暗くなってきたら、カーテンを閉める。

これだけできたら、大丈夫。
私の帰りが多少遅くなってもなんとかなります。
包丁の使い方も上手になってきたから
そのうち自分でお味噌汁くらいは作れるでしょう。

「僕が家にいるから、お母ちゃん安心でしょ?」

ほんと、そのとおりよ。
ありがとうね。

これからガンガン稼ぐから。
飛行機に乗って、沖縄に行こう。
北海道に行こう。
イギリスに行こう。
遠くの友達に会いに行こう。

「お金がないからできない」を、なくしていこう。

お母ちゃんはもう、「嫁」じゃないから。
家の女じゃないから。
なんでも出来る。
どこにだって行ける。

さあ!
稼ぐぞ〜♪